治承4年(1180)、後白河院の第2皇子以仁王(1151〜1180)は源頼政とともに挙兵します。挙兵は失敗に終わりますが、以仁王が発した諸国への令旨は、反平氏勢力の結集をうながし、諸国の源氏を蜂起させます。源頼朝の東国政権もこの令旨が拠り所であるとされています。

京都府木津川市山城町の高倉神社には以仁王がまつられており、社前には以仁王の墓と伝えられる陵墓があります。
以仁王は、宇治川合戦の後、奈良へ落ちていく途中、流矢に当たって亡くなりました。後世、村人によって神社境内に葬られたとされています。

高倉神社南の田の中に、小さな円墳があります。以仁王にしたがい宇治川の合戦で奮戦した筒井浄妙の墓と伝えられています。
浄妙といえば祇園祭の浄妙山が思い浮かびます。『平家物語』の「橋合戦」の浄妙と一来法師の橋上での場面を再現したのが浄妙山のご神体になっています。
JR奈良線玉水駅より南へ