雲林院

雲林院跡現地説明会 白磁椀

 平安時代初期の淳和天皇の離宮、「雲林院(紫野院)」と見られる池や建物の遺構が発掘調査によって見つかっています。場所は、京都市北区紫野雲林院町で、早くからこの地に雲林院関連の遺構が埋もれている可能性が指摘されていました。マンション建設にともなう事前調査で、京都府京都文化博物館によって調査がなされました。

 雲林院は、9世紀前半、淳和天皇(在位823〜833)が紫野に造営した離宮です。はじめは「紫野院」と称し、832年「雲林亭」と改称されました。その後仁明天皇の皇子常康親王に伝領され、雲林院と呼ばれるようになりました。
 869年、親王は出家し、雲林院を僧遍照に寄せ、寺院としました。平安時代の雲林院は、菩提講が有名で、歴史物語『大鏡』は、この菩提講で落ち合った老人の昔語りとして展開します。
 しかし鎌倉時代には雲林院の寺運は衰退し、室町時代には大徳寺の子院になってしまい、ついに応仁・文明の大乱で焼失してしまいます。現在大宮通に面して所在する雲林院は、寺名を継いで大徳寺の塔頭として江戸時代に再興されたものです(写真下)。

雲林院

 発掘調査では、9世紀代を中心とする、苑地跡、掘建柱建物、井戸、土器溜まりなどの遺構が見つかっています。
 なかでも掘建柱建物は東西約8・4メートル、南北約6・5メートルあり、一部は池の水面に張り出す形であることから、「釣台」ではないかといわれています(『類聚国史』の中には「紫野院の釣台へ行き、遊魚を鑑賞する」「釣台で随従の文人に命じて漢詩を読ませる」といった記事がでてきます)。
 出土遺物の中で際だっていたのは、ケイ窯の白磁です(トップ写真右)。平安時代初期においては希少な高級磁器で、平安京内でも出土例は少ないです

 さて、謡曲「雲林院」には、『伊勢物語』の在原業平、二条の后高子が登場します。業平と雲林院、伊勢物語と雲林院、どう関係しているのだろう?と疑問でした。『謡曲拾葉抄』には、「業平二條の后凡伊勢物語一部におゐて雲林院にその縁更になし是は伊勢物語と源氏物語と取りちかへたる歟」とあります。それが正しいのかどうか、中世人の頭で考えていきたいと思います。

アクセス

市バス大徳寺前下車

補 足

この記事は、管理人の別サイト「平安京探偵団」の記事を訂正加筆しました。

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